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クラシック症候群(シンドローム)
オブラ・ツイスト2001年4月号~2002年3月号連載

 第1回:ドレスと楽譜と

 クラシック音楽をこう定義した人がいた。「タキシードやドレスを着た音楽家が楽譜を見ながら演奏するかたっ苦しい音楽」
 ふむふむ、言い得て妙かも知れない。確かにタキシードやドレスは、私も「なんだかなあ」と思う。普通の人なら結婚式くらいにしか着ないような服を着てピアノやヴァイオリン弾いたりするのって、当人だって弾きにくいんじゃないんだろうか。
 でも実を言うと、作曲家の役得でよくリハーサルや録音に立ち会うのだが、その時はどんな大演奏家と言えども私服。弾きやすいのが第一だから結構思い思いのラフなスタイルで決めている。最近では、Gパン姿の若い指揮者や短いスカートの女性演奏家(さすがに厚底グツは見たことないが)もいるほどだ。オーケストラだって練習しているところをのぞいて見れば、Tシャツのおじさんがいたり柄物セーターの青年がいたり色鮮やかなパンツ・スーツの女性がいたり、色とりどりで結構チャーミングなのだ。
 でも、舞台に乗っかると全員白黒で無表情になってしまう。これが「かたっ苦しい」と見える最大の理由だとすれば、実に惜しい。いや、それでも時にはパンク・スタイルの弦楽四重奏団とかミニ・スカートの女性ヴァイオリニストとかが輩出しないわけでもないのだが、聴衆には受けてもマジメな批評家の先生たちには不評で、「あんなのはクラシックじゃない!」と糾弾されてしまう。で、「ああ、クラシックじゃありませんよ!」と開き直っているうちに、本当にクラシックでなくなってしまいポップス界に亡命してしまったりする。実に惜しいのである。
 もうひとつ、楽譜を見ながら演奏するというのも、若いころロックやジャズのバンドをやっていた私としては気になる。ロック仲間を一度だけクラシックのコンサートに招待したら、「他人が作った曲を、楽譜を見ながら演奏して、しかも一言もしゃべらないなんて、客に失礼だろ。あれで金が取れると思ってるのかよう」と言ってたっけ。う~ん、反論しようもない。
 まあ、あえて弁護するなら、演奏は「再現芸術」と申しまして、演奏家とは作曲家の書いたものを出来るだけ忠実に再現する、いわばテープレコーダー〔今で言えばMDプレイヤーでしょうか)のようなものなのですね。それが服を着ているのだと思っていただければ…。え?それなら着てないほうが面白いだろうって?お客さん、それを言っちゃあおしまいですよ。


 第2回:指揮者はつらいよ

 オーケストラの指揮者というのは、よく「男として生まれたら一度はやってみたい仕事」などと言われる。
 確かに、クラシックの指揮者はこの世に残された最後の合法的独裁者。百人近い演奏家たちを小さな指揮棒ひとつで自由自在かつ思うがままに操っているように「見える」。
 なにしろ、コンサートが始まっても指揮者が舞台に登場するまでオーケストラはじっと待っているし、指揮者が指揮棒を振り上げると一糸乱れず音を出し、最後にジャーンと曲を閉じるとなぜか一人だけ聴衆の万雷の拍手を受けたりする。それだけ見るとえらくカッコいいではないか。
 でもですね、コンサートの本番しか見たことのない人にとっては、オーケストラがみんな従順に言うこと聴いているように見えるのかも知れないですけど、とんでもないのですよ。
 そもそも、オーケストラの演奏家たちというのは、楽器の種類がさまざまなように性格もさまざま。人の言うことなんか全然聴かない目立ちたがり屋、引っ込み思案なくせにひどい皮肉屋、温厚に見えて実は陰湿な影の権力者 、などなどもう色々なのである。
 そのうえ、色々な指揮者をとっかえひっかえしてコンサートをこなしているから「こいつは貫録がない」とか「音の間違いに気づかない」とか「振り間違えた」とか「客が入らない」などなど裏での批評はシビア。指揮台に乗った途端から「こいつはボスとして適任かどうか」という品定めの目がバチバチと火花を散らすのである。怖い、怖い。
 だから、老舗のオーケストラに若い指揮者がやって来て「そこもっと早いテンポで」とか「もう少しフォルテで」などと言っても、「ウチでは昔からこうですから」とか「そういうのは前例がないですから」と伝統を振りかざしてビクとも動かなかったりする。
 そして、「いいから、そこに立って邪魔しないでくれる。そうすれば俺たちがいつものように弾くから」と暗黙のうちに言われ、楽譜に書いてある通りにオーケストラのリズムに合わせて「踊る」だけということもあるのである。
 そう。指揮者が全能の独裁者だなんて、ただの幻想。実はオーケストラと作曲家と聴衆との間に挟まれた、悲しき中間管理職なのである。男はつらいよ…。
 

 第3回:Jクラシックとは

 〈Jクラシック〉というジャンルがある。
 実を言うと、私もその言い出しっぺの一人なのだが、要するに「JリーグやJポップがあるなら、クラシック音楽にだってJクラシックがあってもいいじゃないか」という発想である。でも、日本のクラシック音楽界では、これはちょっとした革命的発想ではあったのだ。
 なにしろ、我が国のクラシック界は長いこと「ヨーロッパの本場の」「老練なる巨匠・大家による」「古くから定評のある」「堅苦しくて重厚・深遠そうな」演奏と音楽の崇拝にドップリ漬かっていた。そこで、ちょっと油断すると「ミソ汁すすって米食べている人種に、ワインとパンから生まれた音楽文化なんか百年かかっても分かりっこない!」とか、「芸術に深みが出るのは六十七十を越えてから。五十は若造 ミツビシ デリカD:5 CV5W/4WD 20インチ アルミホイール・タイヤセット 一台分(4本セット) Kranze Acuerdo 774EVO SBC/POLISH/NITTO 245/40R20 デリカD:5 20インチ 245/40R20 20×8.5J 40、四十はヒヨっ子、三十前なんぞ問題外!」などというムチャクチャな正論(?)がまかり通ったりしていたのである。
 そんなわけで、日本人の音楽家は〈邦人演奏家〉などとちょっと差別っぽく呼ばれ、若手は海外の名門音楽コンクールで名を上げた時だけ〈世界のナントカ!〉と騒ぎ立てられ、その後はホッタラカシという惨状だったわけなのだ。
 まあ、その見事なる「ブランド志向」と大いなる「俗物根性」こそ、まさに「日本人らしい」と言えば言えるのかも知れない。それに対して「日本人の」「若い音楽家による」「新しい」演奏と音楽を、自然体のまま供給しようとするのが、Jクラシック構想なのである。
 なにしろ、時代は変わったのだ。現代の日本ではもはや誰もパンを「外国の食べ物」などと思わないし、背広やスカート姿でも誰も「日本人なのにヨーロッパの服を着ている」などと思わない。演歌も歌謡曲もロックもポップスも「本当は外国から入ってきた音楽を、外国の楽器で演奏してるんだよね」などと卑下しながら聴いたりしないようにね。
 それならクラシックの音楽家たちも、「私たちは日本人なのにヨーロッパの音楽をやっているのです」などという仮面は必要ない。もはやテクニックや演奏のグレードでは遜色がないのだから、後は自分らしく「自然に」、そして硬軟とりまぜて「カッコいい」世界に徹すればいい。
 それこそが、ミソ汁もすするしワインも飲む「雑食文化国家」日本の音楽家の心意気。百年ぽっちの歴史のすき間なんて何でもない。なにしろ、こちとら自慢じゃないが千年以上も「雑食」やってるんだい!

 第4回:現代音楽とは

 〈現代音楽〉というジャンルがある。
 単純に言えば、現代の生きている作曲家(あるいは、最近まで生きていた作曲家)が書いた音楽ということなのだが、この〈ゲンダイオンガク〉という言葉の響きの中には、単にそれだけではないちょっぴり苦いものが混じっている。
 少し前までは「現代音楽って知ってる?」と言ったら、クラシックになじみの薄い人でも「ああ、あのグチャグチャとかゲロゲロとか音出すヘンな音楽ね」とちょっと顔をしかめて答えるくらい有名(?)だったほどなのだから。
 なにしろ、この〈ゲンダイオンガク〉の基本は「無調」。すなわちCメジャーとかGマイナーとかいう調性がない。つまり、文学で言えば文法がない(か、あるいは全然聞いたこともない言語で書かれている)ようなものだから、当然ながら普通の人が「メロディ」とか「ハーモニー」とか感じるものは「ない」
 そこで聴き手は、出口の分からない迷路に迷い込んだような気分になる。今でこそホラーやSF映画なんかでこのテのサウンドは耳なじみだが、最初に耳にした聴衆はさぞビックリしたことだろう。ご愁傷さまである。
 そんなわけなので、もちろん登場した当初から「こんなのは音楽じゃない!」とか「難解すぎて全然分からん!」とか様々な罵声が浴びせられた。でも、作曲家たちは「おまえたちの耳が五十年ほど遅れているんだ!」などと一所懸命ツッパっていたのである。
 ただ、その本音は「だって、メロディとハーモニーがあって感動もする音楽じゃ、ベートーヴェンとかワグナーなんかの大先輩たちにかなうわけがないじゃない!」であり、「だから自分たちは、メロディもハーモニーもなくて感動もしない新しい音楽を作るんだ!」ということ。
 その気持ちも、まあ、分からないではない。偉い父親を持った息子が陥るオイディプス・コンプレックスそのものの構図だし。でも、「こんな家、ブッ壊してやる!」と家を飛び出したわりには〈現代音楽〉くん、ずっと親の遺産で食べてる感じではあるのだけれど。
 そんなコンプレックスとストレスを音でブチまけたような〈現代音楽〉だが、時々妙に聴きたくなるから不思議だ。それはなんだか、怖い小説を読みたくなったり恐怖映画を見たくなったりする気分に似ている。
 まあ、確かにジェットコースターやお化け屋敷や我慢大会や激辛カレーに挑戦したりするのも、霊長類たる人間の立派な「文化」。〈音楽〉だけが音楽じゃないのである。と言うわけで、この夏はひとつ暑気払いに〈ゲンダイオンガク〉のグチャゲロの世界をさまよってみてはいかが?

 第5回:コンピュータとピアノ

 最近の映画のコンピュータ・グラフィックの技術ときたら、たいしたものである。ちょっと前までは、ドットの荒い線で3Dっぽいメカを描くくらいがせいぜいだったのが、今ではの建造物だろうが、絶滅した恐竜だろうが何でもOK.地平線を埋め尽くす宇宙昆虫の群れだろうが、歯ブラシで前歯を磨くネズミだろうが、とにかく「想像できるものはすべて映像に出来る」のだとか。
 子供の頃からのB級SF映画ファンとしては、コマ録りやぬいぐるみの怪獣とか、テグスで吊った宇宙船などの「手作り特撮の味」も懐かしいけれど 【メーカー在庫あり】 マパール(株) マパール MEGA-Drill-Reamer(SCD200) 外部給油X3D SCD200-0802-2-4-140HA03-HP835 JP、やっぱり最近のCG技術は単純に「うらやましい」。コンピュータとはすなわち、想像の世界を現実にしてくれる「魔法の助手」のようなものだろうな、と思う。
 しかし、そういう私も(クラシック系音楽の作曲をやっていながら)いつのまにか仕事のほとんどはコンピュータに依存している。最初の楽想を模索するのにピアノはまだまだ必需品だがそれも電気ピアノだし、それを楽譜に煮詰めてゆく作業はほとんどモニター画面上。音を鳴らすのはデジタル音源だし、スコアはプリンターで印刷し、データはインターネットで送っている。
 なにしろコンピュータ(Mac)くんは、音符を移調して書き写す…とか、音をチェックする…とか、楽譜をきれいに清書する…とかいう、本来なら弟子か助手が何人か必要なことを、文句ひとつ言わず「ピッ」という間にやってくれる。まさしく「魔法の助手」なのである。
 …などというと古い世代の人の中には「音楽がコンピュータっぽくならないですか?」などと不思議なことを言う人もいるのだが、今どき小説どころか俳句や和歌だってワープロ・ソフトで書きますよね。だからって季語がメカっぽくなるわけではないし、文章にコンピュータ臭が付くわけでもないでしょう?
 それに、コンピュータはピアノに似ている。
 そもそもピアノというのは登場当時は最新鋭のメカニック。人間の左右の指を駆使してメロディとハーモニーとリズムとを同時に叩き出し、「想像できるものはすべて音楽に出来る」という驚異の能力を持った鋼鉄製の精密機械だった。
 さぞかし最初は古い世代に「こんな非人間的なメカで人間らしい音楽が奏でられるわけがない」と言われたに違いないが、「ピアノ」はまさしくコンピュータの最初の原形。機械で出来た「魔法の助手」第1号だったのだ。
 その証拠に、ほら、どっちも〈キイボード入力〉でしょ?

 第6回:作曲とコンピュータ

 この夏は新作の交響曲(第5番)の作曲ですっかり潰れてしまった。とは言っても、実はまだこの原稿を書いている今は、その修羅場の真っ最中。秋に初演というスケジュールなので、8月31日〆切、9月1日提出という、まさに夏休みの宿題のような仕事なのである。(ちなみに初演は10月6日、サントリー・ホールにて)
 交響曲と言っても ★送料無料★(一部離島等除く) 【エスペリア】DAIHATSU タントエグゼ TANTO Exe L455S L465S スーパーダウンサス L465S KF-DET H21/12~ 4WD ターボ / カスタムRS リア、普通の人には具体的なイメージがわきにくいかも知れないが、プレイヤー80人強のフル・オーストラ用に五線譜が30数段あるB4大のスコア(総譜)150ページほどをミッチリ書く。以前気まぐれに試算してみたら、だいたい交響曲一ヶでオタマジャクシの数は十数万個ほど。ちなみに音符一ヶを一文字とすると十数万字というのは400字詰め原稿用紙で300枚前後だから、情報量としてはほぼ単行本1冊ぶん。数ヶ月から数年ほどかかる「まとまった仕事」としては、まあ妥当な線ということになるだろうか。
 これを昔(と言っても数年ほど前まで)は全部ペンかエンピツかの手書きで書いていたのだが、最近はワープロと同じようにOA化し、ディスプレイ上の五線紙にマウスで音符を貼り付けてゆく作業になった。ちなみに、今、仕事で使っているのは〈フィナーレ〉というソフトである。
 そもそも最初にコンピュータを仕事に導入したのは1987年ころ。マッキントッシュ・プラスという可愛い奴だ。ただ、そのころはまだメモリ800K、CPU8MHzなどという性能(コンピュータに詳しくない人にはチンプンカンプンかも知れないが、今使っている最新のMacG4と比べると、覚える能力も計算する早さも100分の1ほど)。たかだか数段のスコアを書くのにウンウンうなり、ページをめくるのに数分かかる始末で、趣味の域ならともかく仕事には使えなかった。
 ところが、今では22インチの液晶モニター画面上に40段くらいのスコアを作り、それにワープロ感覚で音符を入力してゆくことが出来るようになった。ひとつの楽章で50ページくらいになる重たい楽譜もペラペラめくれるうえに、入力した音はすべてその場でデジタル音源によって鳴らしてくれる。
 というわけで、もはやMacは私にとっては「便利な道具」というよりは、右脳・左脳に次ぐ第3の脳(電脳)、右手・左手に次ぐ第3の手(電手?)という感じ。でも、やってることはサイバーパンクっぽい世界とはほど遠く、結局は勘(かん)が頼りの「手作り職人」の世界なのだなあ。不思議だ。

 第7回:夏の思い出

 ひさしぶりにコンサートに出かけたら、帰り道で知り合いの女性につかまってしまった。「センセ、センセ、今年の夏はどうでしたか?」と言うので、ひとこと「カンヅメ」と答えて帰ろうとしたのだが、逃げそこなった。
 夏といえば、かのマーラー先生は夏ごとに小さな湖畔の作曲小屋にこもってほとんどの交響曲を書き上げているし(おかげで、「夏休み作曲家」なんて陰口を叩かれていたけどね)、ブラームス先生も初夏フラリと避暑地に出かけて適当な家を見つけて作曲に浸り、秋になったころ書き上げた楽譜を持ってウィーンに帰ってくる…なんていううらやましいペースで4つの交響曲を書いている。ぼくもアカプルコあたりにひとつ別荘兼仕事場が欲しいものだね…と言うと、けらけら笑う。
 もっとも、彼らは「先生」として高給を貰っていたから、別荘なんて発想もあったのだろうが、同じウィーン楽派でもビンボー芸術家で鳴らしたベートーヴェン先生は狭いアパートの部屋に一年中こもりきりだったし、シューベルト先生などは住所不定無職に近かったのでカフェとかレストランで勘定書きの紙の裏に音符を書いたりしていた。みんながみんな別荘で優雅に作曲三昧なわけではない。
 「でも、やっぱりきれいな自然に囲まれている方が、音楽のインスピレーションがわくんでしょ?」
  「いや、そうとも言えないね。きれいな景色に囲まれてこそ〈魂が自由になる〉ため創作に打ち込めるという人もいれば、狭い場所で不遇な状態だからこそ〈魂だけは自由になりたい!〉と思って創作できるという人もいるわけで…」
  「センセはどっち?」
  「残念ながら後者」
  「へ~、そうなんだあ」

 「ぼくはだいたい2メートル四方くらいのスペースに、電気ピアノとコンピュータ一式と手書き用の机とオーディオ・セットを四面並べたコックピットみたいな状態でないと書けない」
  「四面コックピット? えー、どうやって入るんですかー?」
  「机の下をくぐって入り込む。で、入ったら用意に出られない。人間魚雷みたいだね。あはは」
  「あはは、じゃないですよー」
  「むかしは本当に三畳一間で十年それをやってたんだよね。そのうちおまえ四角くなっちゃうぞ、なんて言われながらね」
  「えーん、笑えませんよう」
  「別に笑わせるためにやってたんじゃないもんね」
 ああ、思い出したくもないことを思い出してしまった。こういうのも夏の思い出というのだろうか。
  「重い思い出…ですね。あは・」
  「あのね…」


 第8回:音楽家は体力だ

 音楽家は体力である。
 ちょっと見には頭脳労働のように見えるが、あれは実は立派な肉体労働。なにしろ数百人とか数千人の聴き手を相手にほぼ一晩2時間ほどの間、ずっと楽器を弾き続け叩き続け吹き続けるのがお仕事なのだ。その体力消耗は半端ではない。
 しかも、自分の好きな時に好きな場所で好き曲を弾けばいいというわけではなく、指定された日に決められたホールで知らない聴衆の前に立ってプログラム通りの曲を弾くのが日常。その前後には、飛行機や車や列車による「移動」があり、取材やパーティや契約などの「雑事」があり、コンサート当日は「うまく弾けるかな」「お客は入ってるかな」「体の調子は大丈夫かな」と様々な心配にまみれつつ、それでもとにかく一晩お客を楽しませなければならないのである。
 一方、お客の方はお金を出して聴きに来ているわけだから、つまらなければ「つまらない」という反応をするし、途中で居眠りを始めたり、帰ってしまったり、

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、セキをしたり、と自由自在。それをなだめすかしてなんとか拍手を貰い(ついでにブラボーのひとつでも貰って)無事コンサートを終えホッとする間もなく、今度は「批評」が追いかけてくる。
 この批評というのは困ったことに、「素晴らしかった!」とか「感動した!」と素直に誉めるのは頭が悪そうに見えると思うらしく、「いい演奏だったが、深みが足りない」とか「楽しませてはくれるが、説得力に欠ける」などなど、とにかく余計なひとことを言わずにはおれない類が多い。おかげで、客の入りも良くて沢山拍手もされて「今夜のコンサートは成功だ!」と思っていると、背後からいきなりヘンな批評が蹴りを入れてくる。これはたまらない。
 でもプロの音楽家は、そんなことでめげる繊細な神経ではつとまらない。表向きは評論家のセンセイ方に「いやあ、このたびは真摯なご批評ありがとうございました」などと微笑んでおいて、その笑顔の裏で「何を聴いてやがる。ちゃんと耳がついてるのか、このボケ!」とくらいつぶやきつつ次のコンサートに向かって邁進するのである。
 そう。つまるところ、音楽家に必要なのは「いくら楽器を弾き続けても倒れない頑丈な肉体」「どこへ行って何を食べてもお腹を壊さない丈夫な内臓」「どんなひどい批評を受けてもすぐ立ち直れる図太い神経」…なのである。
 おっと、もちろんそれにほんのちょっぴり「音楽の才能」でもあれば、それに越したことはないのは言うまでもない。

 第9回:妙な注文

 作曲家を仕事としてやっていると、演奏家から曲の注文(委嘱)というのがあるわけなのだが、結構奇妙な注文もあったりする。
 一番普通なのは、半年あるいは1年くらい先のコンサートのために「定期演奏会で演奏する15分くらいの長さの三管編成のオーケストラ曲」とか「リサイタルで演奏する10分くらいの独奏曲」というような依頼が来るパターン。このあたりは、まあ「書き下ろしの中編小説。原稿用紙300枚程度」とか「月刊誌の連載エッセイ。1000字以内」というような注文に近い。
 一方、あまりよく知らない楽器のために新しい曲を発注されることもある。つまり、ピアノとかヴァイオリンとかではなく、日本の楽器(尺八や箏あるいは笙や篳篥など)や、クラシックではちょっと珍しい楽器(ハーモニカやサクソフォンやユーフォニウム、オンド・マルトノなどなど)の場合である。当然ながら、あまり参考資料もないわけで「さて、ちゃんと書けるんだろうか?」という不安と期待の入り交じった気分を味わうことになる。
 そのあたりは、名前は知っているが面識のない人との「対談。見開き4ページ」などという仕事に似ている。そんな時は「一通り対談相手の著作に目を通しておかなきゃ」と本屋に走るように、その楽器についてのCDや楽譜や文献を探し出してきて、一夜漬けで研究するわけなのだが。
 さらに困るのが、想像を絶する組み合わせによるアンサンブルの依頼。「仲間が集ってコンサートを開くことになったんですが、ピアノが2人にホルンにチェロが2人なんですよね」「そんな変な編成の曲があるんですか?」「ありません。書いてください」などという依頼が電話で来ると、しばしフリーズしてしまう。
 これは「タリバンとターバンと短パンについての小話。100字以内」とか「音楽ホールと寿司屋のカウンターとホームページの共通点についての随想。原稿用紙4枚」なんていう原稿依頼に似てるかも。
 でも、「なんじゃ~、それは~!?」などと叫びつつ、結構書いてしまうのですよね。最近では、「篳篥と箏と笙とオンドマルトノとオ-ケストラ」とか「尺八とハープと笙の三重奏」なんていうのがありました。ええ。
 ま、確かに変な注文ほど、「おぉ、書いたろうじゃないの!」というプロ意識(?)に火が付くような気も…。(おっと、そんなこと書いてもっと変な注文が来たら大変だぁ)

 第10回:音楽はドラッグか

 最近は、電子メールを使って他人のコンピュータに自己増殖ウィルスを仕掛けたり、炭疽菌をくっつけた手紙をバラまいて不特定の人に感染させたり、奇妙なタイプの「不幸の手紙」が世に出回るようになった。
 現代では、あれはもう「いやがらせ」とか「いたずら」ではなく、立派な「テロ」ということになっている。ということは、昔流行った「この手紙と同じ文面のものを一週間以内に十人の相手に出さないと不幸になります」という元祖不幸の手紙とか、人の家の玄関のチャイムを鳴らして逃げる「ピンポン・ダッシュ」とか、観光地で不特定多数の人に向かってやかましい音楽を聴かせるスピーカーの類も、あれはあれで「テロ」だったわけだ。う~ん、気付かなかったな。
 そう言えば以前、(バカな話で恐縮だが)「音楽は兵器にならないか?」ということを半ば冗談半ば本気で考えていたことがあった。実際、無調の現代音楽とか、調子っぱずれのピアノとか、音痴のアカペラ・コーラスとか、下手な義太夫とかは、ある種の破壊兵器として使えるような気がしないでもない。
 絶対音感を持ってる人に、Bフラットから三分の一音ずらした音などをぶつけたら、もだえ苦しんで呼吸困難くらいには陥るかも知れないし。私自身も、時々テレビなどから流れ出すキイのずれたメロディには、鼓膜の奥に腐乱したアフリカ像でも跳び込んできたようなショックを受けるし。ということは、いきなりヘッドホンで「歌のヘタなアイドル歌手が無伴奏でドリカムを歌っているデモ・テープ」など聴かせたら、ポップス未体験のクラシック音楽家くらい殺せるんじゃなかろうか?(なんだか、刑事コロンボとか古畑任三郎みたいなネタになってきたな…)
 そこまで行かなくても 17インチ サマータイヤ セット【適応車種:インプレッサ(GD系 セダン)】WEDS レオニス MX BMCミラーカット 7.0Jx17ディレッツァ DZ102 205/50R17、もの凄く音痴の「歩く最終兵器」を育成して、銀行に行って「金を出せ。出さないと歌うぞ!」と叫んだら…?
 何の話をしていたのだっけ? そうそう、音楽も「毒物」としての要素がある、ということなのだ。それなのに最近とみに音楽は、ドラッグ・ストアにズラリと並ぶドリンク剤みたいに無防備になってきて少々気になる。

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 ちょっと〈癒し〉だったり、ちょっと〈元気づけ〉だったり、ちょっと〈気分をハイに〉だったり。確かに音楽は「しばしの間、現実のいやなことを忘れさせてくれる」けれど、簡易〈鎮静剤〉や〈興奮剤〉として安直にドラッグ化しつつあるのはどうなんだろうなあ。なんにしろ、服用は説明書を読んで適量を。

 第11回:作曲家になる

 子供の頃、最初に聴いたクラシック音楽のレコードが、なぜかプロコフィエフの「ピーターと狼」とブリテンの「青少年のための管弦楽入門」がA面B面になった一枚のLPだった。小学校に上がった頃だったろうか。
 「ピーターと狼」の方は、少年ピーターが鳥や猫たちと力を合わせて狼を捕まえるロシア民話風の音楽物語。ピーターが弦楽器、鳥がフルート、猫がオーボエ、アヒルがクラリネット、お爺さんがファゴット、狼がホルン、猟師たちがティンパニという風に、物語を追ってゆくとオーケストラの楽器が次々に紹介されるという仕組み。語りは英語で、さほどドラマティックでも面白い話でもないのに、なぜか夢中になって聴いていた。
 一方の「青少年のための管弦楽入門」は、その名の通り、オーケストラ入門用の作品。冒頭フル・オーケストラで鳴らされるひとつのテーマが、木管楽器・金管楽器・弦楽器など様々なアンサンブルで、軽やかになったり重厚になったり、悲しげになったり楽しげになったりと様々に変奏されるという仕掛けで、最後に今まで出てきたすべての楽器と旋律が、次々に現われて組み合わさり疾走するフーガとなってゆく。これも「何だか知らないけどすごいなあ」と思いながら繰り返し繰り返し聴いたっけ。
 とは言っても、別にクラシック好きの子供だったわけではない。高校に上がる頃までは、プラモデルを作りまくり、マンガやSFを読みふける日々の中で、科学者になるかマンガ家になるか医者になるか…という選択肢に、音楽家なんて微塵もなかった気がする。
 それが今、なんでまたオーケストラの作曲家なんかやってるのだろう…と、改めて思うとちょっと怖い。最近も、知人の高校生になる息子が、突然「音楽をやりたい」と言い出したらしくて、慌てた親が私のところに相談に来たのだが、なんだか身につまされる。
 そんな時は「やめなさい!」と言うに限る、と聞いたことがある。そう言われてやめるようなら、やめたほうがいい。それでもやるのが本物、ということらしい。そう言えば私も、「作曲家になる!」と言ったら、親や先生をはじめあらゆる人に「やめなさい!」と言われたっけ。それでも確かに「じゃあ、やめよう」とは微塵も思わなかった。
 人生は短し、たすきに長し(ちょっと違うか?)。成功しようが失敗しようが、人生を賭けられるものに出会うことこそが ■純正交換バルブ&フォグキットセット販売■DELICA D:2■デリカ D:2■H23.3~MB15S■D2C/D2R/D2S■H11■35W キセノン HID キット■、人の幸福なのだ。もちろん、成功すればそれに越したことはないけれど…。

 第12回:著作権

 ちょっと前にクラシックの作曲家のソックリさん(あんまり似ていなかったけれど)が出てくる変なテレビCMがあった。
 コンピュータ・ゲームか何かでクラシックの名曲が使われている新製品ソフトを巡って、作曲家たちが「売れるかな?」「売れたら夢の印税生活だね!」などと喜んでいるのだが、最後に一人が「あ、ダメだ。俺達みんな著作権切れてる」と叫んで全員がガックリ肩を落とすという悲しいオチ。
 そう。音楽の著作権というのは作者の死後50年で(国によって、また時代によって差はあるが)消滅する。ポップスのように生きている作曲家が書いたものなら、売れれば売れた分の何%かが作者に入ってくるが、クラシックの作曲家というのは大体、死んでからたっぷり50年は経っているから、全然はいってこないのである。
 なにしろベートーヴェンあたりで死後170年。「白鳥の湖」のチャコフスキーや「新世界より」のドヴォルザークあたりで100年前後。印税が貰えるのは、せいぜいストラヴィンスキーとかショスタコーヴィチあたりの現代の作曲家くらい。ただし、当人たちはとっくに死んでいるので貰えない…。悲しい話である。
 
 しかし、そもそもモーツァルトなんかの時代には著作権なんて影も形もなかった。そこではプロの作曲家というのは、とにかく人を集めて高い入場料取るのが一流だった。中でも一番効率が良いのは、お金持ちを劇場にたくさん集められ、連続興業が打てる「オペラ」。「興行収入の何%をよこせ」という契約書付きで楽譜を送ればいいのだから取りっぱぐれもない。この時代がクラシック系作曲家の黄金期である。
 それに対して、大衆相手のポップス系作曲家は、町の広場に人が集った時に自分で歌って、オヒネリ貰える程度。国中で何万人が鼻歌で歌っても、お金の取りようもないから、当然収入なんかゼロである。
 
 ところが誰かが「著作権」などということを思い付いてから、流れが変わった。人類みな平等、音楽も平等。歌手数十人が数時間歌いまくるオペラも、鼻歌で歌える8小節の歌も、数えれば「一曲」。「質」は問わない。とにかく「量」なのだ。
 おかげで、街角でタダ同然で歌っていたポップス派の末裔は、自分の歌のコピー(CD)を数百万数千万と世界中にバラまいて大金持ちとなり、選ばれた少数階級を相手に高級音楽をやってたはずのクラシック一派は、それゆえにジリ貧にあえいでいる。

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 誰かがまた何か思い付けば、流れが変わるのかも知れないけれどね…。

第13回:オーケストラを書く

 オーケストラというのは色々な音が出る不思議な楽器だ。
 そもそも、この不思議な楽器を使いたくて作曲家になったのだが、もう二十年以上やっていてそれでもまだ不思議で面白い楽器だなと、思う。
 発想としてはシンセサイザーと同じ。シンセが電気的に作った色々な音を回路の中で合成してひとつの音響構築物(楽曲ですね)を鳴らす機械なら、オーケストラはそれを数十人の生身の人間が人海戦術でやるシステムというわけ。
 だから、シンセに音を入力したり演奏させたりするのにコンピュータ言語やソフトが要るように、いろんな楽器を同時に演奏させるための五線譜という言語やスコア(総譜)というソフトがいる。
 そして、コンピュータでやるシンセの音楽にシークエンサー(たくさんの声部をリズムに合わせて演奏させるためにビートをコントロールするマシンあるいはソフト)が必要なように、オーケストラの前には指揮者が立って指揮棒を振る。
 そんなこんなも同じ。
 作曲の手順としては、まずメロディとハーモニーとリズムを記した「(モノクロの)原画」を書き、次にそれにアレンジあるいはオーケストレイション(色を塗って、動画にする)を施す。というわけでちょっと二度手間を必要とする。
 このあたり結構専門的な知識が必要なので、クラシックではこの二つは同じヒトがやるのが普通だが、ポップスでは作曲と編曲は別のヒトがやることが多い。
 なにしろメロディを作るだけなら、別に音符など書けなくても、ギターかピアノをバックに鼻歌で歌ったものをテープにでも録音すれば出来なくはない理屈。でも、アレンジやオーケストレイションとなると、ちゃんと楽譜が書けたうえ、全部の楽器の音域や特性を熟知したうえ、楽器ごとに違う音部記号で音譜を書き(そのうえ移調楽器などという厄介なものもある!)、しかもその五線が何十段もズラリと並ぶスコアを1曲で何十ページと書かなければならない!
 でも、これが結構面白い。
 というより、そういうことを面白がるヒトだから作曲家をやってるんだろうな、と思う。何ヶ月も部屋にこもってコツコツとドミノ牌(音符)を何千何万と並べてゆき、披露の日(コンサート)に端っこのひとつをチョイと押すと、パタパタパタと数十分かけて倒れてゆき、

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、集っているお客の拍手をもらう。…そんな感じ。(どこかオタッキー?)
 アナタもやってみません?


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